駄サイト構築マニュアル 第一版
はじめに
「クールでイカしたサイトを作るのは容易い。なぜならそこには単純なロジックがあるだけだからだ」(ルース・ルーセント・著 島田ミミヨ 訳 『左耳で聞け』)
ある日私は気づいた。
今さらクールで役に立つサイトを作ったところでしょうがない。これからの時代は「駄サイト」の時代だ、と。
今の時代、優れた、役に立つサイトは数え切れないほどある。しかしよく考えてみてほしい。
恐らくはそんな役立つサイトの多くは君に「役立つ」という名目のもと、恐ろしい量の情報を押し付け、君を混乱させるに違いない。混乱させ、そこに付け込んでガッポリ儲けようという、あれはすなわち策略なのだ。
こんなことを知らないなんてね、とか、こんなものをまだ手に入れていないなんてね、と、それらのサイトは私たちを馬鹿にする。そして私たちは、私たちの知的好奇心に基づいて情報を求めているつもりが、いつのまにか彼らの謀略の中に飲み込まれ、気づけば必死に働いて得たお金を、彼らのポケットに次々と投げ込んでしまっているのだ。
この、溢れんばかりの情報量に翻弄される現代において、唯一癒しを与えられるもの、それこそ「駄サイト」なのだ。「駄サイト」はまったくもって見る価値がない。そこで時間を費やす必要もない。だからこそ、価値がある。それは、溢れる情報に飲まれ、情報の選別に必死になる人々にふと休息を与え、安らぎを与えることができるだろう。何の意味もない、何の価値もないということによって。
今こそ「駄サイト」の必要なときなのだ。
駄サイトの定義
駄サイトとは一体何か。それに答えるのは容易い。
それはすなわち、「見る人間にとって、なんら価値のないサイト」のことである。
それを見るという行為すべてが、純粋に無駄であり、時間の浪費であり、無意味以外の何物でもない。そんなサイトを「駄サイト」と呼ぶ。
そんなものをわざわざ閲覧するなど、バカげていると思われるかもしれない。
だがそう思う君はもうすでに危険だ。君はこう思っているに違いない。「価値のないことに時間を割くほどバカげたことはない」
しかし考えてみても欲しい。これは本当に価値のないことなのか?
先人は言った。「最高の贅沢は、無駄なことをして時間を費やすことだ」と。
駄サイトを作る上での心構え
まず重要なことは、「誰かの役に立ちたい」「誰かにとって興味深い内容にしたい」などという考えを捨てることだ。そのような考えはこれから作ろうとするものにとって有益でない。
その際、いちばん簡単な方法は、「自己満足をする」ということだ。他人というものを想定してはいけない。君は単純に君の満足のためだけにサイトを制作すればよい。そうすれば恐らくほとんどの人にとって無益なサイトができあがることだろう。簡単なことだ。
幸いにして、世の中にはそのようなことをほとんど無意識に実行できる人間が存在する。彼(彼女)らはごく普通の人間からしてみれば、全く何の意味もない非常にパーソナルな内容をインターネットにアップロードすること、たったそれだけのことで、充足を得ることができる。彼らはとても幸せだとは思わないか?
君がもしそのような人間なら、以下の文章など読む必要はない。こんな文章のことは気にせず、自分のWebサイトの更新に邁進してくれたまえ。
制作
それでは早速、実際の制作に入ろう。
といっても、サイトの具体的な内容は君自身で考えてくれ。そうしなければそれは君のサイトでなくなってしまう。心配はいらない。今までの内容を十分に理解していれば、君は思うままに駄サイトを制作できるはずだ。
以下に君にとって有益であろうと思われる情報を記しておいた。上手く活用して、サイトの制作に役立てて欲しい。
制作ツールについて
私は仕事柄、様々な質問を受けるが、その中でも決まって耳にするのが、「制作ツールを使用しないと、Webサイトは作れないのか」ということだ。世の中には、Web制作ツール、と銘打たれたソフトウェアが氾濫している。中には数万円という、驚くような価格で販売されているものすらある。確かにそういったソフトウェアは君のWebサイト制作の手間やイライラを、少なからず解消してくれるだろう。だが君はそのようなソフトウェアのために、君が必死になって働いて得た金をつぎこんでやる必要はない。なぜならば、おそらく君は、Web制作ツールをすでに持っているからだ。ちょっと待て、俺はそんなものを購入した覚えはない。そんな声が聞こえてきそうだが、それでは尋ねよう。君は普段文章を書くとき、どんなアプリケーションを利用する? ビジネス文書や、レポートなどを書く際、どのようなソフトウェアを利用しているだろうか。その答えの多くは、こうなるはずだ。「Microsoft
Wordだ」と。
だから何なんだと思われる向きもあろうが、そう結論を急いてはいけない。
あまり知られていないことだが(という事実がいつも私を驚かせるのだが)、ワードには、大変優れた機能がある。それは「Webページとして保存」という機能だ。
早速、試してみよう。まずはワードを起動して欲しい。そしていつものように、文章を打ち込む。もちろん以前に打ち込んだ文書を開いてもいい。そして、「ファイル」のメニューを開き、「Webページとして保存」を選択する。すると、保存用ダイアログが表示されるだろう。ファイル名が気に入らなければそこで変更してもいい。保存場所を決めたら、「保存」のボタンを押す。たったこれだけ。たったこれだけで、君の書いた文書はWebページになってしまうのだ。
不安ならば保存されたファイルをダブルクリックしてみればいい。君のブラウザは、君の書いた文書を、そのまま表示してくれているに違いない。
これで、Web制作ソフトウェアなどを買うということが、いかに馬鹿らしいことか分かってもらえただろう。
君は新しいソフトウェアをわざわざ購入する必要などない。何故なら君はすでに優れたソフトウェアを手にしているからだ。大体新しいソフトウェアを導入することは、君の悩みのタネを増やすだけだ。それがどれだけ優れたインターフェイスを持つソフトウェアであっても、その使い方を一から覚えるというのは苦痛以外の何ものでもない。それをする必要がないということが、どれだけ重要な意味を持つか、君ならばわかってくれることだろう。
さらに加えて、ワードは、これから君が作ろうとするサイト、すなわち「駄サイト」にとって、重要な内容を君の作るWebページに付加してくれるだろう。まあこの辺りのことは、やや高度な内容になってしまうので、もし君がその点について知りたいと思うなら、拙著「ダサイ・ト?」を参照して欲しい。
いずれにせよ、君が「駄サイト」を作りたいと願うのであれば、ワードは欠かせないソフトウェアだ。是非活用して、よいサイトを作ってくれたまえ。
駄サイトの演出
さて、一通り駄サイトと呼べるようなものはできた。しかし、やはりいくら見る価値のないサイトであっても、誰にも見られなくては駄サイトとしての価値はない。誰かが見て、贅沢に時間を浪費してはじめて、駄サイトとしての存在意義が生まれるのだ。だからこそ、駄サイトは、より多くの人に見られる必要がある。
しかしこれは実に難しいことだ。前にも述べたように、世の中の多くの人々は、こう考えているからだ。「価値のないことに時間を割くほどバカげたことはない」。だから例えばYahoo!(これは悪の根源だ)のように、役に立つサイトを役に立つ形で並べたサイトを人々は訪問し、血眼になって自分の役に立ちそうなものを探すというわけだ。そして気づけば貪欲な連中に日々の労働の結晶をさらりと奪われてしまう。全く愚かしいことだ。このような、金もかからない、最高の贅沢がすぐそこにあるというのに。
だからこそ、駄サイトは、より目立たねばならない。より目立って、より多くの人にこの、巨万の富を得たビル・ゲイツですら味わうことのできない最高の贅沢を堪能してもらわねばならない。
しかし具体的にどうしたらいいのだろう。皆が駄サイトの持つすばらしい価値について気づくのを待たねばならないのだろうか。
いや、それではあまりに消極的というものであろう。常識を打ち破るためにはそれだけの勢いで前に出ねばならない。常識とは疑う必要のないことをいう。ならば疑う必要がなくなるまで前に出ねばならないのだ。
しかし、前に出たところで皆を納得させるだけの内容がなければただ煙たがられるだけというのは目に見えている。前に出て、常識として納得させるためには、納得させるだけの、有無を言わさぬ内容、というものが必要なのだ。
そこでまず必要になるもの。それは駄サイトとしての「質」だ。より無駄に、より長く時間を浪費し、より深く閲覧者の人生に癒しと安らぎを与えられるだけの「質」。それがなくては、私がどれだけ声高に駄サイトの重要性を説いたところで誰も納得しまい。まずは「質」を限界まで高める必要がある。
それでは駄サイトの「質」を高めるためには、具体的にどのようにするのがよいのだろうか。様々な手法が考えられるが、ここでは主なものをいくつか上げてみることにしよう。
以下鋭意執筆中。